まず大前提として関わる全ての人間が「体罰は悪である」と認識すべきではないか、とワタシは思う。
いくら「信頼関係」や「コミュニケーション」があったとしても、「指導者と選手」「教師と生徒」「先輩と後輩」という関係は、暴力を受ける側が反論・反撃しにくいフェアでない状況を作り出します。そういう優位な立場にある人間が一方的に暴力を振るうのです。どんな理由があれ、それが体罰の本質だと心得るべきでしょう。
「体罰」の抱えるリスクも考えて欲しい。
どんな理由があるにせよ、物理的に暴力を受けるのである。殴られれば怪我もする。歯を折られれば一生モノだし、色々な物を見聞きして欲しい年頃の子供の鼓膜を傷つけて一時的にでも聴力を奪うなどワタシには許せない。視力を奪われないにせよ、視線のブレは選手生活に大きな影響を与える。高校球児でいられるのはたった3年間だ。殴られた子供の選手人生に暗い影を落とすことにだってなりかねない。
体罰を受けた子供が誤った理解をする危険性もあります。「自分の言う事に従わせるには、暴力を使ってもいい」と。
であれば、体罰を与える側の指導者・教師も同等以上のリスクを負うべきです。暴力による周囲の批判も、解雇・刑事告訴を含むいかなる処分も全て甘んじて受けるべきだと思う。
自分自身の身を安全な場所に置きながら、子供に一方的な暴力を振るうということだけはあってはならない。
世の中、物分りのいい子供ばかりではありません(そしてそれが健全な世の中です)。口で言っても聞かない子供は沢山いるでしょう。
だから体罰が必要だ、と言ってしまうのは楽なんです。暴力に対する恐怖に訴えれば、子供は従うことは従うでしょう。ただ、それが「教育」「指導」のあるべき姿でしょうか?少なくとも安易に行なわれてはいけないはずです。暴力に頼る前に、指導者や教師はそこで別の手段がないかを探し、もっと苦悶すべきです。その道のプロなのですから。
それでも体罰が必要だというのであれば、暴力を振るう側は「自分がどんな非難や処分を受けたとしても、この子に解って欲しい事なんだ」という信念と覚悟を持つべきでしょう。
信念あってこそ「安易な体罰」は行なわれないでしょうし、体罰に対する十分な事後説明もできるというものです。
理想論過ぎるでしょうか?
ですが、
子供たちに理想を放棄している姿を見せるのって
カッコ悪くありません?
子供の前だけでも「立派な大人」を演じて見ましょうよ。
前エントリにTBして頂いた
社長の本音日記さん
かきなぐりプレスさん
にTBしました。
【追記】
この問題に関して、皆さんにも読んで欲しいと思った下記2箇所のブロクにも追加でTBさせて頂きました。こういう記事を読むと救われた気持ちになります。
振り逃げプロ野球さん
ベースボール短編集さん


リンク&トラックバック、ありがとうございます。
体罰によって統制するのが教育…と肯定しちゃうのは私も危険だし滑稽だなぁと思うんですよね…。
心理学者が、チクリと皮肉を書かれていました。
『そういうやり方が正しいならば、ヤクザの組織や昔の日本の軍隊が、高校野球の手本ってことになってしまいますよ』って…。
難しい問題なので、個々の意見や感想もいろいろ分かれるとは思うのですが…。
野球の楽しさとか、そういうのが好きな私にとっては、こういう事件は何とも気が重いです・・。
はじめまして、コメントありがとうございます。
そちらで書かれている、
「まったく叩くことなく、相手を叱って、なおかつ相手を自然に変えることのできる人の方が、指導者として格が上」
というは全くその通りだと思います。
ていうか、
野球って日本の主要スポーツの中では指導者のライセンス制度がない、数少ない競技だそうです(例えばhttp://www.tottoku.com/sport.html
のスポーツ関係を見ると野球の名前がないんですよねー)。
つまり指導者の「格」を客観的に評価する制度すらない。
だから、
こんな時代錯誤な指導がまかり通ってしまうんじゃないか、とも思います。
それと、
寝惚けてTBを二重に送ってしまいました。
お手間を掛けて恐縮ですが、
恥ずかしいので、
片方削除していただけると助かります。
指導者資格の記述で「野球の名前がない」と書きましたが、軟式野球はありました。訂正させて頂きます。
ただ、わざわざ「軟式」と書いてあって硬式野球はないんですよね。
だから、甲子園球児の指導に関しては無法地帯なんじゃないか、とは思ってます。
>体罰を与える側の指導者・教師も同等以上のリスクを負うべきです。暴力による周囲の批判も、解雇・刑事告訴を含むいかなる処分も全て甘んじて受けるべきだと思う。
全くその通りだと思います。このての事件のたびに「なぜ謹慎ですむの??」と思いましたから。まだまだ日本は教師を聖域においていますね。逆もまたそうですけどね。生徒の校内暴力も殆ど隠されますから。私の中学校は歓楽街を含む地域の学校だったので非常に荒れていました。生徒が教師を骨折させるのも日常茶飯事。しかし町のウワサにはなっても表ざたにはなりませんでした。
実に気が重く、そして野球ファン・日本人の「本音」(結局は暴力容認・安易な指導容認)にもなんだかウンザリな毎日です。
>暴力を振るう側は
>「自分がどんな非難や処分を受けたとしても、
> この子に解って欲しい事なんだ」
>という信念と覚悟を持つべきでしょう。
本当に、その通りだと思いました。
そうですよね、
暴力を振るった事の批判を甘んじて受ける
覚悟も無しに体罰するのは
ダメだと私も思う。
金八先生でも体罰の回があったですけど
それだけの覚悟で殴っていましたよ。
体罰って、相手との信頼関係があって
しかも、充分な事後フォローができる場合のみ
有効だって私は思いますし。
そういう点で言うなら、
この部長は暴力の量をグチュグチュ言い訳してる時点でアウトですね。
それに、
体罰の範囲を超えているでしょう。
(平手3発でも多いと思う。しかも増えてきてるし・・・)
しかし
暴力肯定の人たちは、なんとかならないもんですかね。
私もウンザリですわ。
「秩序を乱すのが許せない」って言うなら
練習に参加させない、とか
甲子園に(応援に)連れて行かない、とか
いくらでも「叱る手段」なんてあったでしょうに・・・
はじめまして。コメントありがとうございます。
そちらのブログも拝見させて頂きましたが、高野連は相変わらず変わる気はないんじゃないでしょうか。
今回の件で出した緊急通達なるものも、「暴力絶滅」を強く訴えているものの、
「仮に指導者の不祥事で大会の出場が危ぶまれたり、選手たちが努力した試合成績まで取りざたされて無に帰すようなことになった場合」なんて言葉を平気で並べてるんですから。そういう「連帯責任」式の処分の仕方が隠蔽体質やら密告やらを生む、ということにまだ気が付いてないのでしょうか?
高野連の本気度も怪しいものです。
コメント、TB、記事の紹介ありがとうございます。
>暴力肯定の人たち
そうですね。こういう意見を読むと悲しいというか、すごく遣り切れない気持ちになってしまいます。
たぶん人の親になったり、仕事で人を指導する立場で「教育」が上手くいかないと、手っ取り早い手段である「体罰」への誘惑が頭をもたげるのでしょう。
だから「体罰を使っても良い」という何かしらの理由やらお墨付きを、常に心のどこかで欲しているのではないでしょうか。
自分が体罰を使った時の「免罪符」です。
教育とは、子供や部下を自分の思うがままに支配することではないはずなんですがねぇ…。
もう遅いので、そちらのブログには次の夜にお邪魔します。